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『ルールズ・オブ・プレイ ゲームデザインの基礎(下)』 要約その6 第29〜33章

『ルールズ・オブ・プレイ ゲームデザインの基礎(下)』

著者: ケイティ・サレン、エリック・ジマーマン

訳: 山本貴光

 

 

 

今回は29章から終わりの章である33章まで一気に要約したいと思います。

元々はそれなりの分量のある章ですが、ゲーム評論に役立つであろう部分だけ抽出するような形でまとめます。

 

 

1.ユニット29章 文化を定義する (P466-484

「文化という文脈は、表現やゲームの遊びに対して、どんな影響をもたらすのか。反対に、ゲームは、文化という文脈に対してどんな影響を及ぼすのだろうか。(中略)ここではこうした疑問に注目してゆくことにしよう。」(P467

 

『ゲームデザインという目的に照らして、「文化」を、ゲームの魔法円の外側にある物事、ゲームが行われる環境や文脈を指していると理解しておこう。』(P473

 

「ゲームを文化として考察するということは、その魔法円を超えてゆき、ゲームが、ゲームそのものの実際のルールや遊びの外側にある文脈と、どのようにやりとりするかを考察することである。」(P484

 

どんなゲームも何かしらの形で文化(魔法円の外、ゲーム世界の外)を反映しており、逆に、ゲームが文化に影響を与えることもあるということです。「変化をもたらす遊び」はゲームのルールだけでなく、文化の水準でも起こります。

「文化」は無数の定義がある言葉ですが、ここでは引用の通り、単に魔法円の外の世界・物事として扱われます。

 

 

「ゲームを文化の表現物として考察する場合、ゲームを文化の織物と捉えている。ゲームを解釈して読み解くことは、文化人類学や文化研究において行われる分析にも似たことである。」(P484

 

やや余談ですが、ゲームを他の芸術形式や社会、政治などと結び付けて評論したものは多くあります。一般的にゲーム評論というと、この水準で行われているように思います。

 

 

 

2.ユニット4 第30章 文化の表現法としてのゲーム (P489-528

「ゲームは、文化を学ぶための社会の文脈となるものだ。つまり、ゲームには思考様式という側面がある。ゲームは、社会がその価値観を伝える一つの文脈なのである。」(P528

 

「文化全体の中でつくられ遊ばれるものとして、どんなゲームもその文化の文脈をある程度反映している。本章では、この前提について、さらに深く掘り下げてゆき、とりわけゲームが文化の価値観をどのように反映しているかということに注目しよう。」(P490

 

「ゲームとは、社会の価値観が具現化する場であり、そうした価値観を伝える場でもあるということだ。」(P490

 

例えば、戦争をテーマにしたゲームでは、たいてい国のために命がけで戦うこと、テロリストの撲滅などが描かれています。多くの映画や文学などと同様、ゲームは社会規範、社会で良いとされる行動などを反映しているということでしょう。

本章に限らず、ユニット4に通底するものとして、より広い文化の中にゲームを位置づけてデザインすることの重要性を説いているのだと思います。

 

『現代の西洋文化で広く普及している表現法は「成長としての遊び」だ。つまり、遊びとは子供のものであり、遊びに価値があるのは、子供たちが大人へと適切に成長してゆく役に立つからだ、という考え方である。』(P528

 

『「新しいゲーム運動」は、ここ数十年で衰えたとはいえ、アメリカ合衆国での体育に多大な影響を及ぼしたと言われる。例えば、小学校の体育の時間に、大きなゴム製の地球ボールやパラシュートで遊んだことがあるなら、「新しいゲーム運動」に感謝しよう。この運動が、従来スポーツに基づいて作られていた体育のカリキュラムを、もっと遊びを中心に据えた、協力して学ぶ経験へと変える後押しをしたからだ。』(P520

 

「新しいゲーム運動」は1960年代後半から起こった社会運動で、それまでの遊びやゲームにおける対立・競争といった要素を組み替え、対立と協力の境界を意図的にあいまいにするようなゲーム群を生み出しました。

それはゲームが社会を変化させる、大規模な「変化させる遊び」の例です。遊びを通じて社会を変化させるため、これは「変化をもたらす文化の遊び」と呼ばれます。

 

 

 

3.ユニット4 第31章 開かれた文化としてのゲーム (P533-571

『「開かれた文化としてのゲーム」とは、ゲームの構造が、プレイヤーにはっきりと創作の手段を与えるようなゲームデザインのモデルを意味しているのである。』(P537

 

『プレイヤーは、そのゲームのシステムを手に入れて、そこに何かを付け加えたり、削除したり、遊びの経験をすっかり変化させるよう水を向けられることになる。これを「制作者としてのプレイヤーの方法論」と呼ぶことにしよう。』(P537

 

「プレイヤーが制作者になる場合、その活動はメタゲームの一種である。というのも、彼らはそのゲームと魔法円の外でやりとりするからである。」(P571

 

ここでは、いわゆるサンドボックス系ゲーム、TRPG、あるいはMODの制作など、プレイヤー自身が新しい遊びを作り出せるものが扱われています。

プレイヤーが作り出す作品はMODなどに限らず、「マシニマ」(デジタルゲームを使って作られるアニメーション、動画、映画)のように、もはやゲームという形式をとらないものまであります。

そのように、プレイヤー自身をゲームデザインの側へ引き込むことで何が得られるか、といったことが語られています。

 

 

『「ゲームシステム」はコンピュータのオペレーティングシステムに似ている。一つのOSで、いろいろな種類のソフトウェアを走らせることができる。ちょうど、一つの「ゲームシステム」で、いろいろな種類のルールを「走らせる」ことができるように。』(P554

 

ここでの「ゲームシステム」はトランプのように、同じ構成要素を使って無数のルール、無数の遊びを展開できるものを指します。そこでは、同じ構成要素を使ってプレイヤー自身が新しい遊びを生み出すことができます。

プレイヤー自身が遊びを無数に生み出せるような仕組みを作ることもゲームデザインの一つの手法であるということでしょう。

 

 

4.ユニット4 第32章 文化的な抵抗としてのゲーム (P575-601

この章は特に要約すべき内容がありませんので省略します。

 

 

5.ユニット4 第33章 文化的な環境としてのゲーム (P605-642

この章では、これまで使ってきた本書のゲームの定義の一部を再検討します。

 

『この定義のうち、だんだんと疑わしく思えてきたのは、「ゲームとは人工物である」、つまり日常生活から隔離されているという考え方だ。』(P605

 

この点を考察するためにLARP(ライブアクションロールプレイング)などが取り上げられています。

それらのゲームは魔法円の存在や境界をかなりあいまいなものにしていますが、魔法円自体が完全に消えているわけではありません。(LARPについての説明は省略します)

 

「文脈の点で捉えた場合、魔法円は、透過しない遮蔽物ではなく、通り抜けられる境界である。」(P606

 

魔法円自体のとらえ方も再検討され、それは閉じられた空間ではなく、行き来できるもので、日常空間とつながりがあるということが明確にされます。

 

「暗黙のルールは、エチケット、気質、慣習、文脈という形を取りうる。これは文化の権威の現れであり、ゲームの人工物という性質を、ゲームがその中に存在している現実世界の文脈へと関連づける。」(P642

 

ルールという水準で魔法円を形作る要素には、これまで触れてきたように3つの水準のルールがありました。

その中でも、暗黙のルールは特定のゲームだけのものではなく、様々なゲームにある程度共通する要素です。その中身はおおむね社会常識に近いものから成っています。

暗黙のルールに従うということは(広い意味の)文化的な慣習に従うことであり、その意味で、やはり魔法円は日常空間と地続きだと捉えることができます。

 

ゲームはやはり人工物でありますが、「人工」の部分とそうでない部分はあいまいなところもあり、「変化をもたらす遊び」が文化に影響を与える(まさに変化させる)ように、ゲームと現実(日常)は相互に影響し合うものであると結論付けられます。

あくまで、ゲームはデザインされたものであり、隅から隅まで人工ということではないにしろ、何らか人工的な要素が核となっているということです。

: ゲーム研究 : 06:28 : comments(0) :
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